被害にあった玉葱の苗! ― 2009/10/08 15:30
佐原の大祭「のの字廻し」 ― 2009/10/11 23:04
伊能忠敬旧宅 ― 2009/10/11 23:56
諏訪神社の祭礼(大祭)を見た後、古い町並みがある小野川付近を散策した。ここで伊能忠敬のことを簡単に書いてみたいと思う。日本で初めて実測による全国地図を作った伊能忠敬は、17歳で伊能家の婿に入った。当時の伊能家は、米の売買や酒造りなどを営む大きな商家で佐原村の名主でもあった。しかし、学問が好きであった忠敬は49歳で隠居、江戸に出て勉強し、55歳から全国測量を行った。その間に歩いた距離は約3万5000キロメートル(地球1周分)にもなると云う。後にその成果は「大日本沿海輿地全図」として結実する。小野川沿いに忠敬が30年余り過ごした江戸時代の一部の店舗と表門、土蔵がそのまま残っている。目の前に30分間隔で落水音の聞ける樋橋と観光船着場がある。
地図の先駆者達 ― 2009/10/12 23:25
佐原の伊能忠敬のことを書いたので、長久保赤水を紹介しながら、日本の地図の歴史を紐解いてみよう。日本地図の製作者としては、現在の千葉県香取市佐原出身の伊能忠敬が、全国を歩いて測量した「大日本沿海輿地全図」が有名である。しかし、幕命によって作成されたこの地図は機密扱いであったため、当時一般の目に触れることはなかった。一方、現在の茨城県高萩市出身で近代地理学の祖と云われる長久保赤水は、忠敬より42年前に緯線が記入された「改正日本輿地路程全図」(通称「赤水図」)を発行している。この赤水図は、日本で初めて北極星の高度(緯度)を入れることによって、地形と距離を正確に表すことに成功したものである。この地図に対しては、幕府も取り締まることはしなかったので、当時一般地図として国内に流布され、シーボルトらによって外国にも渡った。長久保赤水は、1717年(享保2年)に高萩市赤浜に生まれ、35歳の頃から地図に興味を持ち、各地に旅をして紀行や日記を本にまとめた。52歳で水戸藩の郷士格(武士待遇)となり、61歳のときに、第6代水戸藩主徳川治保の侍講(教師)にとりたてられ、江戸小石川の水戸藩邸に住むようになった。赤水図は62歳のときに完成し翌年に発行された。81歳まで江戸で生活し、赤浜で85歳の長寿を全うした。(パンフレット記事より)
コスモスの花 ― 2009/10/23 20:54
10/23に国営ひたち海浜公園に行ってきた。みはらしの丘を真紅に染めた3万本のコキア(ほうき草)も色褪せ、ふもとのコスモスも満開を過ぎてしまった。係りの人に聞いたところ、見頃は1~2週間ほど前であったとのことである。コキアは諦めコスモスに絞って写真を撮ろうとしたが、比較的風が強く納得する写真は撮れなかった。コスモスについて調べてみたところ、「コスモス」という言葉の語源は、ギリシャ語の「秩序」「飾り」「美しい」という意味の「Kosmos, Cosmos」の言葉に由来していると云う。星がきれいにそろう宇宙のことをcosmosと呼ばれ、そこから、花びらが整然と並ぶこの花もcosmosと呼ばれるようになった。宇宙の「コスモス」と、花の「コスモス」の語源は同じだったようだ。和名は「秋桜(アキザクラ)」 。秋に桜のような形をした花が咲くから秋桜と命名されたと伝えられている。花びらは赤・ピンク系が主流であることから、「秋に見る桜」のような雰囲気でコスモスを楽しむこともできる。
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