水戸歴史館の黄葉2011/11/18 21:46

黄葉した銀杏の写真を撮りに水戸の茨城県歴史館に行ったが、今年の黄葉は遅いのかまだ黄緑の部分があった。平日なので人も疎らであったが、どこかの幼稚園生が遠足に来ていた。この歴史館は茨城県の歴史についての「公共博物館」と「文書館」の機能を合わせ持つ施設として昭和49年(1974年)に開館したと云う。また、一橋徳川家からの寄贈を受けた資料、美術品、工芸品等多数の蔵書や品々をもとに一橋家記念室等も開設されている。この後千波公園内にあるもみじ谷に行ったが紅葉もまだ早かった。

紅葉真っ盛り!花貫渓谷2011/11/21 20:56

昨日まで生憎雨であったが、今日は朝から気持ち良い晴天になった。風雨で飛ばされた畑の防風網の補修を後回しにして、軽トラックに折り畳み自転車を乗せ、カメラを持って花貫渓谷に向かった。昼前に渓谷に着いた頃、晴天であった空は全面雲に覆われてしまった。鮮やかな紅葉も半減になったが落ち葉が鮮やかに地面を彩った。

横川温泉宿の銀杏2011/11/21 21:13

花貫渓谷の汐見橋付近は紅葉狩り観光客で混雑していたので、山を越え常陸太田に向かった。途中横川温泉宿の銀杏が草葺屋根に映え見事であったので、軽トラックを停めシャッターを切った。ちょっと逆光で黄色が飛び気味であったが。この横川温泉は、西暦1057年八幡太郎義家一行が常陸の国に投宿した後、陸奥との連絡路をこの地に設営しようとしていた折に温泉を発見し一行が湯小屋をつくり、このいで湯で戦いの傷や疲れを取ろうと入浴したと云う。

銀杏に映える町屋変電所2011/11/21 21:22

先週町屋変電所で行灯の赤レンガと銀杏まつりが開催された。去年は行灯に賑わう写真を撮ったが今年は家庭の事情で行けなかった。横川温泉から折橋を通って町屋に行った。誰もいない静かな町屋変電所の風景が心を癒してくれた。ここ常陸太田市町屋は,江戸時代には宿場町として栄え,現在もその名残をとどめている建物を見ることができる。明治44年1月には旧太田町などに電気を供給した町屋発電所が設置され,旧太田町とともに明治44年11月にはじめて電灯が灯り,町屋の人々は「電気見たけりゃ町屋へ行け」と誇りにし,町のシンボルになっていた。この建物は,町屋発電所の変電施設として建設され,背の高い煉瓦造・切妻屋根の建物に,寄棟屋根の建物がつながる外観に特徴がある。県内初期の発電関連施設の遺構として貴重である。また,碍子はフランス製とみられる。昭和30年頃まで変電所として利用されていたが,その後は地区の集会所として使用されており,町屋地区の保存会により周辺整備などが行われている。そして毎年11月に「行灯の赤レンガと銀杏まつり」が開催されている。

おひさまの上岡小学校2011/11/30 20:57

NHKの朝のテレビ小説「おひさま」のロケ地となった大子町の上岡小学校の一般公開が本日で終わりと聞いたので、カメラを持って行ってきた。天気予報は曇りのち雨に反して日中は気持ちの良い快晴となった。教室に入ったとたん、私の心は昔の小学校の生徒にタイムスリップした。この学校は陽子が通った有明山尋常小学校である。陽子と同級生で白紙同盟の真知子、育子、そして武夫君、途中で転校してしまったユキちゃん。貧しくとも豊かな心を持った小学生がいた。そして陽子は教師になった。日本は戦争に突入。学校も有明山国民学校に変わった。後に引き返せない悲惨な戦争、昭和20年遂に無条件降伏。激動の昭和であった。

陽子さんの教室2011/11/30 20:58

おひさま陽子さんの教室に入った。昔の黒板があった。小さな木の机もあった。陽子さんはここの教室の生徒でもあった。そして教師になってこのクラスの受け持ちになり教壇にも立った。私の小学校のある日が蘇ったひと時でもあった。

枯葉が舞う汐見橋2011/11/30 20:59

大子町の帰り道、あの紅葉で人気の花貫渓谷に寄ってみた。シーズンも終わりなのか、車の進入、駐車規制も無く汐見橋まで行けた。モミジも枯葉となり人も疎らであった。花貫渓谷のビュースポットである汐見橋付近は春の新緑と秋の紅葉。季節とともに移り変わる自然の姿を楽しむことができる。約80メートルの長さの汐見滝橋からは、眼下に勢いよく長れ落ちる不動滝の姿や小さな淵をぬって流れる花貫川の清流に出会うことができる。今年も季節は移り変わって冬になった。