家庭の仕合せに徹した母の一生2013/11/07 00:07

母は震災後も元気に過ごしていましたが、昨年の5月に自宅で転倒し、大腿骨を骨折し入院致しました。骨折治療中の7月に脳梗塞を発症し、寝たきりになったうえ、嚥下障害も加わり、食事も困難になってしまいました。以後1年間は入退院を繰り返しながら、栄養ドリンク剤主体の食事と点滴のみで過ごしました。入院中は、家に帰りたい一心で、なかなか飲み込めないドリンク剤を、懸命に飲み込もうと努力する母にしばし涙しました。しかし、病院の懸命な看護や食事介助も空しく、体力は徐々に低下し、今年の9月からは点滴のみとなり、身体は一段と衰弱し、11月1日の夕方、眠るように息を引き取りました。母は大正10年に生まれ、昭和15年に赤浜に嫁ぎ、戦時中は北京で過ごし、終戦後赤浜に戻り、夫婦で一生懸命農業に勤しみました。母の願いは、「いつも円満な家庭であること」、「家族みんなが健康であること」でした。家庭にあっては、常に裏方に回り、心配ごとに気を揉んだり、家族の病気をいつまでも気遣ったり、今日も何事もなかったと安堵したりする母でした。会社退職後高齢になった母と暮らして、改めて母の生甲斐を知り、家庭の大切さを学びました。家庭の仕合せをひたすらに願った母の92年間の人生に悔いはなかったものと思います。これもひとえに多くの皆様方の支えがあったからこそできたものです。改めて皆様方のご厚情に対し、心から感謝するとともに深く御礼申し上げます。残された遺族共々、母の意志を継いで行きたいと思います。今後とも宜しくお願い申し上げます。