寒風の中の玉葱畑 ― 2015/01/15 10:15
堤防サイクリング ― 2015/01/14 14:56
早いもので今年に入って14日が過ぎた。私は今年の7月に満70歳を迎える。古希は本来数え年70歳(満69歳)を云うので、私はもう過ぎてしまったことになる。これからは東京オリンピック日数ではないが、大台(70歳)に達するとカウントダウン人生になるので、如何に健康寿命を延ばすかが勝負である。特に足腰から弱って来るので、現在私は毎日スポーツジムで200Kcal/40分の運動で汗を流し、頸椎症痛み軽減のためサウナによる温熱治療?を行っている。今日は水曜日なのでスポーツクラブは定休日。折り畳み自転車を引っ張り出し、カメラをぶら下げ海岸の堤防から常磐線を越え田圃をサイクリングした。結構汗をかくものである。これからはサイクリングをしながら地域の風景やスナップを撮りブログにアップしたい。
江戸優り 佐原の秋祭り ― 2014/10/14 17:23
必然!筋力アップ ― 2014/08/30 17:19
最近身体のあちこちが痛い。持病の頸椎症性神経根症による手の痛みと痺れ、脊椎の軟骨磨滅による腰の痛み、朝身体が痛くて寝床から中々起き上がれない。農作業で屈む作業が苦痛である。特に鍬による畑の畝立て作業、草引き作業が困難である。私は今のところ成人病と云われる内科的疾患は問題ないが、整形外科的疾患が身体を拘束している。それぞれの疾患について水戸、日立、高萩の病院六ヶ所程受診したが決定的な治療は無い。加齢による筋力低下により痛みが出ており、75歳になったら車椅子だと脅かされている。手術はいやだ。兎に角、痛み回避のため筋力回復が最も大事だ。最近、痛いので農作業も程々、スポーツクラブのジムもサボっている。これでは駄目だ。初代の折り畳み自転車が古くなったので、新しく折り畳み自転車を買った。これを車に積んで撮影地に行き、車を駐車場に停め自転車で付近を散策し写真を撮るつもりだ。痛みからの逃避と筋力アップをするつもりだ。くれぐれも交通事故には注意する。
サーファー銀座!赤浜海岸 ― 2014/07/06 09:05
家庭の仕合せに徹した母の一生 ― 2013/11/07 00:07
母は震災後も元気に過ごしていましたが、昨年の5月に自宅で転倒し、大腿骨を骨折し入院致しました。骨折治療中の7月に脳梗塞を発症し、寝たきりになったうえ、嚥下障害も加わり、食事も困難になってしまいました。以後1年間は入退院を繰り返しながら、栄養ドリンク剤主体の食事と点滴のみで過ごしました。入院中は、家に帰りたい一心で、なかなか飲み込めないドリンク剤を、懸命に飲み込もうと努力する母にしばし涙しました。しかし、病院の懸命な看護や食事介助も空しく、体力は徐々に低下し、今年の9月からは点滴のみとなり、身体は一段と衰弱し、11月1日の夕方、眠るように息を引き取りました。母は大正10年に生まれ、昭和15年に赤浜に嫁ぎ、戦時中は北京で過ごし、終戦後赤浜に戻り、夫婦で一生懸命農業に勤しみました。母の願いは、「いつも円満な家庭であること」、「家族みんなが健康であること」でした。家庭にあっては、常に裏方に回り、心配ごとに気を揉んだり、家族の病気をいつまでも気遣ったり、今日も何事もなかったと安堵したりする母でした。会社退職後高齢になった母と暮らして、改めて母の生甲斐を知り、家庭の大切さを学びました。家庭の仕合せをひたすらに願った母の92年間の人生に悔いはなかったものと思います。これもひとえに多くの皆様方の支えがあったからこそできたものです。改めて皆様方のご厚情に対し、心から感謝するとともに深く御礼申し上げます。残された遺族共々、母の意志を継いで行きたいと思います。今後とも宜しくお願い申し上げます。
難しい菊栽培 ― 2013/09/20 00:01
思い出の運動会 ― 2013/09/13 10:23
中学校の運動会は9/7に終わった、9/14は小学校の運動会である。小学校の側の静かなアプローチ広場で、小学校の頃の運動会を思い出した。私の家は農家であったので、父母は稲刈りで忙しく運動会には来たことがなかった。昼時になると友達は応援席の家族の元で昼食を摂った。一人ぼっちの私は誰もいない教室で母が作ってくれたおにぎりを食べた。母が早起きして作ってくれたおにぎりはとてもうまかった。一人ぼっちでもちっとも寂しくなかった。食べ終わると出店に行って10円のいか焼きを買って食べた。そんなことを思い出した。一生懸命おにぎりを作ってくれた母。今不自由な身体で病気と闘っている。そんな母を見ているとなぜか目頭が熱くなる。
最近のコメント